「人生の展覧会」
人生の展覧会というものが、ある時ある場所で開かれた。
どんなものが並べてあるか、人々は好奇心を持って見に出かけた。
第1会場
入ってみると真っ暗だ、
どうしたことかとたずねると、この世の解説者が言うことに、
”人生は真っ暗さ、明日も分からぬ暗闇よ、
望みの光などこの世には、いくら探してもありっこない”
第2会場
入ってみると驚いた、
あるはあるは靴ずらり、この世の解説者が言うことに、
”人生は靴(苦痛)ばかり、大きな靴(苦痛)に、小さな靴(苦痛)
この世の旅路を終えるまで、靴(苦痛)だけが、履き物さ。
そこへ来た天国の解説者の言うことに、嘆くには及びません、
このほかに第3会場があるのです。そこは、望みと喜びの部屋さ。さあご案内致しましょう。
さあ、ここが第3会場です。解説は後で致しますから、まずは、作品をご覧ください。
第3会場
ロシアの皇帝アレキサンドルは、変装して部下の中に入り、彼らの様子を知るのが好きであった。
ある晩、彼は兵舎に入り、それとなく兵士たちの話に耳を傾けていた。
ある天幕に入ると、若い将校が机にもたれかけて、ぐっすりと眠り込んでいる。皇帝は爪先を立てて近づき、その青年将校の肩ごしから覗いて驚いた。なんと机の上には、装填されたピストルが置いてあるではないか。そのそばには、一枚の紙があり、それには、ばくちによる負債の額がずらりと書き並べてあった。
皇帝は数字の列に目を通していたが、一番下に目を移す
と、総額の書いてある欄の下に
「誰がこんなに払えるか!」と書いてあったので、強く心をひかれた。
すべてが氷解した。この青年将校はばくちに負けて、持っているものを全部なくし、負債を負いこんだのである。考え苦しんだあげくに、彼は自分の頭を射披いて、事の結末をつけようとしたに違いない。
そして「誰がこんなに払えるか!」と書いたあとで、心労の余り眠りにおちいったのである。
やがて彼は目をさまし、そして…
初め皇帝は、この不都合な将校を強く詰問しようとした。しかしその将校の親が自分の友人であることを思い浮べたので、考えを変えた。
彼は落ちていたペンを取り上げてインクにひたし、「誰がこんなに払えるか!」と書いてあるすぐ下に、
「アレキサンドル」と書き加え、足音を立てずにその場を立ち去った。その中に青年将校は目をさまし、
こめかみにピストルをあてた。これが人生の最後かと悲壮な思いに駆られた。ところで引鉄を引く前に、負債額の表に最後の一瞥を与えたのである。そして思わず驚いたように、体をかがめて見直した。
たしかに「アレキサンドル」と書いてあるではないか。
翌朝、皇帝の所から使者が来て、彼にばくだいな額のお金を渡した。
こうして、彼の負債は皆支払われ、彼の命は助けられた。
さて、この青年将校の立場は、私やあなたの立場ではないでしょうか?
天国の解説者……イエス・キリストは十字架の上で、私たちの罪の価を全部払って下さいました。
十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われました。 「キリストの打ち傷のゆ
必要とされる費用の全部を、イエス・キリストは私、あなたのために払って下さったのです。
私は、あなたが、感謝して、イエス・キリストが完成して下さった救いを信じて、
受けいれられることをお勧めいたします
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。(*賜物=贈り物)
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです」(聖書 エペソ2:8)
コメントをお書きください